地方の弁護士八面六臂・田舎の弁護士七転八倒

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許されない学術会議人事介入

 菅義偉首相は、日本学術会議の会員に推薦されていた105人の内、6人だけを任命しなかった。これは前代未聞のことであり、日本学術会議法という法律に照らしても許されない。無法と言っても良い行為であり、許してはならないと考える。
 学術会議という団体は、上記の法律に基づいて「科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし」て設立された団体。いわば、科学、学問の総本山として設立された団体で、「学問の自由」(憲法23条)の総本山ともいえるだろう。
 会員の選ばれ方は、これまで法律の改正により変更があったようだが、現在の法律では第7条2項で「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」とされ、第17条では「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。」と定めている。
 選挙制だったのを変更して、推薦制・内閣総理大臣の任命制が導入される際(1983年)には、国会で議論がされ、政府委員は、内閣総理大臣の任命はあくまでも形式的なものだ、と答弁している。
 それに、任命ということであれば、内閣総理大臣自体、国会の指名に基づいて天皇が任命する(憲法6条1項)ことになっている。国会の指名した首相を天皇が任命しない、などと言うことがあってはならないことが言うまでもないことを考えれば、今回の学術会議会員の任命拒否も、あってはならないことである。菅首相は「法に基づいて適切に対応した結果だ」と述べたそうだが、黒を白と言いくるめる、という表現がぴったりだと感じる。
 報道されているところによれば、6人の方々は、それぞれに、共謀罪反対、安全保障法反対、辺野古基地建設問題などなど、政府に批判的な発言や活動をされている。学者が、政府に右顧左眄するようになっては、真理、真実、より良い社会などをめざすべき学問は、死んでしまう。政府に批判的な発言、活動、業績も自由でなければ、学問の自由は保障されない。
 菅首相が、内閣官房長官時代にも、特定の記者に対して「あなたに答える必要はない」などとして恣意的な差別選別をくわえていたが、気に入らない学者を排除し、学問の自由という憲法の基本的人権をないがしろにする姿勢を改めないなら、早々に退場してもらわなければ、我々の人権や生活も、ないがしろにされてしまうことが心配である。
 最後に一言。6人の内半数の3人は法学者だ。菅首相は「法に基づいて適切に対応」なんて言いつつ、法学者を敵視する、無法者なの?

「ワイドショー政治」

「ワイドショー政治」という言葉をよく聞くようになってだいぶん年月が経つような気がする。でも、「ワイドショー政治」って何のことなのか、その厳密な意味内容、定義がなんなのか、あまりはっきりしない。広辞苑第七版を引くと、「ワイドショー」については、(和製英語)とした上で「芸能情報を中心にニュースや生活情報など幅広い内容を伝えるテレビ番組」と書かれているが、それにさらに「政治」を付加した言葉は、掲載されていない。
 「劇場型政治」という言葉もあり、「ワイドショー政治」とほぼ同義の言葉として使われることもあるようだ。
 ほぼ同義として考えると、おそらくは、概ね、テレビのワイドショーや劇場における演劇その他のように、演出によって、視聴者、観衆の耳目を引きつけ、楽しませて、視聴率を上げたり、観衆の評価を得ようとする政治手法や,政治のあり方のこと、と考えて良いのだろうか。
 政治というのは、人々の生活の基盤となる社会のあり方を決めていき、人々の生存や幸福追求を支える活動だから、一時的な人気取りや目くらましのような小手先の手練手管で営まれては、人々にとって良いことではないと思う。そういう意味では、「ワイドショー政治」というのは、望ましくない政治のあり方を指している側面はあるのだろうな、と感じる。
 他面で、テレビのワイドショーが、政治の問題を取り上げることは、その取り上げ方が公平、公正なものである限り、人々の政治に対する関心を広げる啓発的な意味を持ちうる、という側面もあるだろうと思う。
 テレビのワイドショーが政治の話題を取り上げ、その取り上げられた政治のことを「ワイドショー政治」というのであれば、そうした啓発的な意味を持ちうる,望ましい側面を持つものと考えることもできそうだ。
 今、2020年9月下旬、テレビのワイドショーは、僕の見る限り、政治の問題については、アメリカ大統領選挙を取り上げたと思ったら、韓国の法務大臣を巡る疑惑の問題ばかり。
 日本の政治に関わって、「ジャパンライフ」の元会長が逮捕されても、彼が客引きの手段として政府から「桜を見る会」の招待を受けた事実を利用していたことなど、取り上げていることを,ほとんど目にしない。
 国内問題は、政治問題ではなく、元アイドルの飲酒運転の問題。「桜を見る会」の疑惑に対する究明も、モリカケ疑惑、なかんずく、自死した赤木さんという公務員の方の問題も、もっともっと,ワイドショーが取り上げて、掘り下げた追及をしてくれてしかるべき問題だと思う。
 前官房長官は、マスメディアに対して著しい情報統制を行ってきて、記者会見でも、特定の記者に対しては、「あなたに答える必要はありません」等という、傲岸不遜で、記者の背後にいる国民の知る権利をないがしろにする態度を露骨に示してきた。そういう人物が,総理大臣にキャリアアップして、国民の支持を得ているというのは、ちょっと不可思議だが、テレビのワイドショーの取り上げ方が、公平、公正でなくて、啓発的な役割を適切に果たせていない、ということの反映なのではなかろうか、と感じる。
 健全な「ワイドショー政治」を、望みたいなあ、と感じる今日この頃である。

テレビCM「過払金が戻ります」

 以前、弁護士にテレビ広告などは許されていなかった。「士」という文字から連想可能かも知れない「武士は食わねど高楊枝」という言葉すら連想されるような、営利からは一歩離れた位置に身を置くことを求められる様な、規制と職業倫理の世界だった。そして、それでも食べていくことが、できていた。
 それが、解禁されるや、本拠の事務所は他の都道府県にある事業者が、洪水のようなコマーシャルメッセージをテレビやラジオに流すようになった。隣接業種でも同様なことが起きた。多くは「過払金が戻ります」というものだった。
 それから、やはり、本拠の事務所は他の都道府県にある事業者が、地方の公共施設に出向いてきて、一時的な相談会を開催。その広告を新聞に折り込み、テレビラジオで広報する。
 利息制限法という法律は、第二次世界大戦が終わってから10年も経たない1954年に制定されて、それ以来、法定利率は変えられてこなかった。利息制限法制定以来、本来、この制限利率を超える利息をとることは、違法であり、その違法な制限利率超過利息は、受け取った方が「不当利得」のお金、すなわち、過払金になるのが、一貫して原則だったはずであった。そこを曲げて例外として制定された貸金業法が、かつて43条1項「みなし弁済規定」という、サラ金を取り締まるはずの法律の中の、サラ金に甘い汁を吸わせる規定を作った。しかし、それでも、あくまでそれは例外であり、利息制限法を超えて取られた利息は、「不当利得」として返されるべきだ、というのが原則のはずだった。
 しかしながら、1980年代後半から1990年代には、この原則を貫くことすら、難しかった。貸金業者を被告にして不当利得返還請求訴訟を起こすと、担当の簡易裁判所判事から、「ゼロ和解」にしませんか(つまり、「貸金業者とご依頼人様と、貸し借りなしということにして手を打ったらどうか」)、と電話がかかる。一蹴したいが、ご依頼人様の意向を無視して独断で拒絶するのは越権行為だろうから、やむを得ず報告すると、「それでいいです、それで十分です。」と言われてしまう。社会正義の観点から、こんな業者に利得を保持させるべきではないのに、と切歯扼腕したことが一度ならずある。
 そういう状況が、消費者の立場に立った同業者各位の粘り強い努力の末、打破された結果が、最高裁判所の貸金業法に関わる判決であり、法改正だった。
 テレビラジオCMの解禁と、この貸金に関わる大きな転換とが重なって、洪水のような「過払金が戻ります」テレビCMがやってきた。別に過払金の取り戻しは、テレビラジオのCMをする事業者ではなくともやっているし、地元の身近な専門家が取り扱っているのだが、情報量の差か、CMを流す事業者の方に客は流れたのだろう。
 知る限り、莫大な広告費を使ってCMを流す事業者の中に、消費者の立場に立って粘り強い努力をした末に、最高裁判所の貸金業法に関わる判決や、法改正を勝ち取るのに貢献したと思われる同業者各位が含まれているようには、思われない。
 そして今。未だに「過払金が戻ります」というテレビCMを続けている隣接業者などがいる。貸金業法の改正と前後して、合法的な貸金業者は、利息制限法に違反する利息を取ることをやめ、それから10年を経たから、消滅時効期間との関係で、クレジットカードで過払いがあるということは、今やほとんど虚偽広告に近いんじゃなかろうかと思うのだけれど。大丈夫なのだろうか。
莫大な負債を抱えて破産宣告を受けた法律事務所も出たけれど。
 そして、目先の利く事業者は、もはや、「過払金が戻ります」ではない。
 肝炎の国家補償や、基地の騒音訴訟。騒音訴訟では、従来の基地訴訟弁護団とは異なり、決して騒音問題の抜本的な解決と考えられる、飛行差し止めは求めない、と聞く。専ら損害賠償請求をするのみ。
こういう問題に取り組みますというCMの主の皆様の中に、果たして、困難な中で国などとの間で、地道な損害の主張立証をしたり、法律論を闘わせるなどして、勝訴判決を勝ち取るという形で、道を切り開いてきた人たちは、含まれているのだろうか。